私が5年の婚活難民を経て
「最後の砦だ」
「ヤバい人がいくところだ」
と信じてやまなかった結婚相談所
に入会。
入ってみるとイメージとは全く違って
10年分の出会いに1か月で恵まれ
5か月で夫とスピード成婚。
結婚したはいいが
お互い仕事が忙しく
家に帰宅するのはふたりとも23時台
なんてことも珍しくない日々。
夫の福岡転勤を期に
私は新卒から働いていた
大手企業を退職して
ずっとやりたかった
ビジネス(自分の婚活経験で
最高の投資だった結婚相談所)
をスタート。
そんな中
ずっと望んでいた妊娠が発覚。
公私ともにやりたいことが
叶っていて、幸せな日常。
なはずだったのに
出産後それが激変した。。。
3時間置きの授乳。昼も夜も常に眠い。
かわいいかわいい娘を出産した私。
初めての育児。
両実家は県外。
しかもコロナが始まった2019年。
産後する会ったきり
しばらくは会えない、
頼れない生活が始まった。
夜なかなか寝ない娘。
泣くのを放置すると
「サイレントベビー」
になるらしく良くない
という情報を目にして
泣き始めるとすぐに抱っこ。
腰も腕も限界。
夜もなかなか眠ってくれなく
ようやく寝てくれたとおもっても
しっかり3時間おきに起きて泣く。
夫は相変わらず
早朝~深夜まで働いているので
仕事に影響がでると申し訳ない
と思い
できるだけ自分で対処しようと
夜中のお世話に奮闘していた。
そして、昼間娘が昼寝する間に
眠らなきゃ自分がもたない
との思いで昼寝するも
十分に眠れないまま
娘がまた泣いて起きる。
授乳で栄養が吸い取られるのか
夜も昼も常に眠くて眠くてほんとに
死にそうだった。。
やりたかったビジネスも中途半端
妊娠と同時にスタートしたビジネス
も、そんな中なので思うように
進められなかった。
せっかくご契約いただいたお客様の
サポートももっとやりたい。
新規のお客様も増やしたい、、
けど今増やしたら
お客様に迷惑をかける
し、自分もいよいよ倒れてしまう。。
と動けなかった。
保育園は1歳になってから
預けるというママが多いようだったが
私は夫と相談して
0歳から預けようと決め
保育園の入園希望を出した。
3年は家でゆっくり見る
それが、日本の良い母親像
な気がしていたから
ものすごい罪悪感があった。
(私だってもっと仕事したいの。。
保育園さえ決まれば、、、
それまでは、、、
ほんとに今だけ。
我慢して今を乗り越えるしかない。。)
社会とのつながりがない中。保育園も落ちた。
コロナで市が行っている
保健師さんの自宅訪問も中止
集団で受ける健康診断も中止
月一公民館でやっていた赤ちゃん教室
に参加したこともあったが
マスク参加で最低限のコミュニケーション
公園にも人はまばら。
そもそも毎日眠くて眠くて
2駅先の児童館すら行く気力は
残ってなかった。
そして、希望を出していた保育園も
落ちた。
少し前に流行っていた
「保育園落ちた、日本死ね」
という言葉が頭の中でループした。
年度途中から入れることは
かなり少ないという。。
今思えばダメ元でもチャレンジすれば
良かったと思う。でも
このころはそれを考える余裕も
検討する気力も、
そこまでして保育園に入れたい
=ひどい母親、という気がして
夫に相談する勇気もなかった。
(私だって仕事したい。
なのにどうして。。。)
私はあと1年家で育児することを
覚悟した。。
夕方に決まって大泣き~泣き止まない娘
「黄昏なき」というのは
だれにも頼れなくて
ググってたどり着いた言葉だった。
元々肩や腰が凝りやすい体質。
娘が泣いては抱っこ日もで
数時間揺れていた。
きまって夕方はなかなか泣き止まなくて。
いつも夜遅くかえってくる夫が
「今日こそは奇跡的に早く帰ってきてくれないかな」
と心底願っていた。
やっと泣き止んだと思い
床に寝かせてまた数十分したら
ぐずり出す。
おむつを替えて
おっぱいをあげて
(あぁ。。今日ももう一日が終わる。。。
今日も何にもしなかった)
と、一日おっぱいとおむつ替えとだっこ
しかしていない自分が情けなくなって
自然と涙が出ていた。
そんな日々の中で会った本
『Today』という絵本。
ーーーー
今日、
私はお皿を洗わなかった。
ベッドはぐちゃぐちゃ
つけといたおむつは
だんだんくさくなってきた
きのうこぼした食べかすが
床の上から私をみている
・
(途中省略しながら
※ぜひ本を読んでみてくださいね)
・
私はこのこが眠るまで
おっぱいをやっていた
私はこのこが泣き止むまで
ずっと抱っこしていた
・
ほんとにいったい一日
何をしていたのかな
でもこう考えればいいんじゃない?
今日一日私は
澄んだ目をした
髪のふわふわなこのこのために
すごく大切なことを
していたんだって
そしてもし
そっちのほうがほんとなら
わたしはちゃーんと
やったわけだ
ーーーー
※今悩んでるママに1人でも多く届きますように。。
夫への不満爆発
相変わらず昼夜問わず
眠くて眠くて仕方がない。
平日夜遅い夫だが土日は
お休みで貴重な家族時間。
お昼は近所に家族そろって
外食にでかけるのが定番。
嬉しいひと時。
でも。。。
昼食を食べて帰宅すると
決まって夫は私より先に
昼寝を始めた。。。
毎週そうだ。
(またか。。。
あんたが寝るから
私が寝れないじゃん。。。!(怒)
(子供が動き回るので
見ておく必要があり)
時には爆発して
「寝るときは
「ごめん寝ていい?」とかせめて聞いてよ!
先に眠られたら私は寝れないじゃん!!
私だって死ぬほど眠いんだから!!!」
と叩き起こして不満を伝えることもあった。
夫は娘をかわいがっていた。
よく遊んでもくれていた。
でも娘がウンチしているのがわかると
「うんちしてるかも!」
と私におむつ替えを振ってきた。
夫は育児の楽しい部分だけする
私は育児の大変な部分をする
「育児のいいとこどりしないでくれる?」
と冗談ぽく言ってたが
本音中の本音だった。
それなのに娘が自分より夫に
なついているように感じた時
は悔しくてなんとも言えない気持ちに
なっていた。。。
またあるとき仕事仲間から
「一緒にイベントしない?」
と誘われた。
うれしかった。
それには当日
夫に娘をみてもらう必要
がでてくる。
それを夫に話すと
承諾してくれた。
そして私はイベント準備に取り掛かった。
とはいえ育児している現実は変わらない。
育児しながらの細切れ時間を使って
なにかに集中するのは
到底できなかった。
だから夜娘が寝てから資料を作った。
さらに寝不足になって私の
イライラも増していたとおもう。
当日夫に娘を預ける日も
ホントは夫は預かるの嫌なのかな?
という気がした。。
夫の協力あって
無事にイベントは終わったが、
夫からは
「どうして仕事を優先するの?
生活も自分でなんとかなってる
わけだし、今は
仕事は休んで子育てに
集中したら?」
というようなことを言われた。
そのとき私は
(なんでわたしばっかり?!
私も夫とおなじく仕事したいのに
なんで私だけが我慢しなくちゃ
ならないの?!)
と涙が止まらなかった。
離乳食を食べない
娘は好き嫌いが多かった。
せっかく娘専用に離乳食を
作っても
全く口にしない日も多かった。
添加物は良くないと
市販のものには極力頼らず
家では娘のためだけに
数品手作り。
それでも大量に残して
泣きながらゴミ箱に
お皿をガンガン!と
叩きつけて捨てることも多かった。
ワンオペのイライラをぶつける先は夫
相変わらず生活は変わらなかった。
常に寝不足でふらふらで
イライラして、
家は荒れ放題。
私が寝る時間には
まだ帰宅していない夫。
その夫への無言の手紙として
いつも「荒れたままの部屋」
をそのままにして布団に入った。
これすら片付ける元気もないの。
私はこんなに辛いんだ。
私だけが。。。。
そんな不満の当てつけだった
と思う。
そんな様子を見かねて夫は
「俺の食事作りはしなくていいよ。
ダイエットもしたかったし
お塩ちゃんはその分ラクになるし」
と提案してくれた。
でも私はそれが受け入れがたかった。
すでに「嫁」としてなにもしてなく
夫のために「食事作り」くらいしか
してないのに
これすらも手放すって
結婚してる意味ないじゃん、、、と
思えた。
やさしいはずの夫の言葉なのに
夫からみても自分がキャパオーバーしている
=自分のみじめさがさらに助長されるようで
三行半のように勝手に感じて
みじめになった。
だから相当抵抗した。
夫は
「家事やってほしくて結婚したわけじゃない」
と言ってくれてたけど
この時の私は盛大にこじらせていて
夫のこのやさしい気持ちを素直に
受け入れられなかった。
とはいえ生活は崩壊しているので
夫の提案をしぶしぶ受け入れた。
少し元気を取り戻してきた
夫の提案のおかげで
家事がすこしラクになり
(やはり人に出そうとおもうと
それなりに気を遣っていたのだと気づく)
自分の料理だけなら適当でOK
でもその分栄養不足を感じて
飲みだしたサプリもかなり効果があり
あんなに眠かった日中の眠気が
飲みだして1日で無くなり
翌日から昼寝をしなくても平気になった。
そうやってなんとか1年が過ぎ
晴れて娘も保育園に入れることに。
尽きない不安
それでも心配は尽きなかった。
娘のことだ。
娘は名前を呼んでも
めったに振り返ることはなかった。
後追いもなかった。
目が合うことも
極端に少なかった。
それがとてつもなく寂しくもあった。
保育園に入っても
ダントツで言葉も遅かった。
毎日
「目が合わない 発達障害」
「後追い ない 理由」
とググっては
Youtubeでそんな赤ちゃんの
特徴を動画で調べたりする日々。。
せっかく生まれたかわいい子
が、障害を持ってるんじゃ。。
もしかして、家での育児中
私の関わりが足りなかったせい
なんじゃないか。。。
と自分を責めたりもした。
そんな中だったけど、
娘は順調に育っていってくれた。
やっと本腰いれて動きだす
こともできるようになった
ビジネスも安定して伸びてきた。
・
そして出てきた望み。。
もうひとり子供がほしい
夫とも話して
ふたりとも即「ほしい」という意見
で合致した。
それから2か月ですぐ第2子を妊娠。
今度ははじめてじゃない。
すべてが分かっている。
幸せな妊娠生活。
でも思い出されるのは
娘を出産したあの地獄の日々
「二度とあんな風にはなりたくない。。。。」
夫とそのころについて
「私結構やばかったよね?」
と聞くと
「うん。。ヒステリーで驚いた」
と言っていた。
ほんとに産後、
あんなふうには戻りたくない。
そう思っていた時に出会ったのが
小田桐あさぎさんの魅力覚醒講座だった。
(②につづく)
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